ゼロリスク信仰を続ける日本人の末路

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ゼロリスク信仰を続ける日本人の末路

日本人は、リスクゼロを求める傾向が、非常に強くあります。

いわゆる「ゼロリスク信仰」です。

リスクゼロを求めるリスク
リスクゼロを求めるリスク 日本人はリスクゼロを求めるリスクゼロ信仰が非常に強いですね。医療・投資・教育など、ありとあらゆる分野でゼロリスクを要求して無理なことを言う傾向にあるように思えます。リスクをゼロにするということは、当然リタ....

日本人の特徴である「投資を嫌い、ひたすら預貯金を貯めこむ」というのも、その一つの表れですね。

しかし、日本人のゼロリスク信仰は、投資に限った話ではありません。教育や医療・介護など、様々な分野において、ゼロリスク信仰は蔓延しています。

そしてコロナ騒ぎにおいても、それが顕著に表れていました。ここまで狂った状況になっているのは、ゼロリスク信仰の影響がかなり大きく関わっているのは、間違いありません。

そもそも、生きていく上でリスクをゼロにすることなど不可能です。リスクを支払うことによって、リターンを得られるのです。

つまり

  • リターンは、リスクの対価

ということです。

このことは、投資をしている人ならよくわかるのではないかと思います。

リターンはリスクの対価

リターンはリスクの対価

「リターンはリスクの対価」というのは、普遍の原理原則です。

逆に言えば

  • リスクをとらなければ、リターンを得ることはできない

ということになります。

例えば、子どもが自転車に乗るために練習するとします。

上手に乗れるようになるまでに、転んだりしてケガをするかもしれないリスクが存在します。

しかし、そのリスクを受け入れて練習しなければ、自転車に乗れるようになりませんよね。

つまり

  • リスク : 転んでケガや痛い思いをするかもしれない
  • リターン: 自転車に乗れるようになる

ということですよね。

他には、自動車を運転することは

  • リスク : 事故を起こしてしまう・事故に巻き込まれてしまうかもしれない
  • リターン: 快適に移動することができる

となりますね。

このような例については当たり前だと思うでしょうが、このようにリスクを受け入れることでリターンを得られるというのは、全てのことに当てはまります。

常にリスクとリターンを考えて比べる

常にリスクとリターンを考えて比べる

このようにリスクを受け入れなければリターンを得ることはできませんから、常に物事を判断する際には、リスクとリターン両方について考える必要があります。

ゼロリスクでリターンを得ようというのは、完全に無理な話です。

リスクとリターンについて考える上で必須なのが

  • リスクとリターンの大きさを比較する

ということです。

当たり前のことなのですが、これをやっていない人が驚くほど多いのです。

シンプルに

  • リスク>リターン → 受け入れるべきではないリスク
  • リスク≦リターン → 受け入れる価値のあるリスク

となります。

リスクとリターンの大きさを適切に比較することができれば、様々な選択において合理的で理性的な判断をすることができるわけです。

しかし言葉にしてしまえば簡単なことではあるのですが、リスクとリターンの大きさを適切に比較するには、知識と普段から比較する習慣が必要になります。

いつもゼロリスクを求めているようでは、いつまで経っても適切に比較することはできません。

ゼロリスク信仰の末路

ゼロリスク信仰の末路

ではリターンをとるためにリスクを受け入れず、ゼロリスクを求め続けるとどうなるのかについて、例を挙げて説明します。

<寝たきり大国日本>

日本は世界的に見ても、寝たきり老人の割合が非常に多く、寝たきりとされる年数も非常に長いという特徴があります。

原因としては、長寿国であるということもありますが、それ以上に日本人がゼロリスク信仰であることが大きく関わっています。

高齢者のケアをする場として、施設や家庭がありますが、どちらも共通して言える傾向として

  • ・無理をさせない
  • ・何でもやってあげる

ということがあります。

この背景には

  • 無理をさせて、何かあったら大変

という感情があるのでしょうが、これこそが害悪であるゼロリスク信仰です。

「何かあったら大変」ということは、「何か起こらないように、何もさせない」ということです。

実際に、介護現場では何から何までやってあげるため、本人はずっとベッドの上から動かないようになります。すると歩かなくなるため、歩くことがどんどん出来なくなり、安易に杖を使ったり車椅子に乗ったりするわけです。

そうなったらもう衰えていく一方です。足などの筋力もそうですが、認知機能なども衰えていき、認知症などになるのは目に見えています。

このようにして、寝たきり老人を大量生産しているのが、ゼロリスク信仰なのです。

寝たきり大国というよりも、寝かせきり大国なわけです。

なぜ日本は寝かせきり大国なのか
なぜ日本は寝かせきり大国なのか 日本には寝たきりの高齢者が150~200万人いると言われています。日本の寝たきりの高齢者の9割が、起きて生活できると言われています。日本の医療・介護は「安全第一・至れり尽くせり」です。人生において大切なことは何で....

ですから、適切にリスクをとらなくてはならないのです。

  • リスク : 出来るだけ自分でやることで、転んだりしてケガなどをする可能性
  • リターン: 筋力や認知能力の維持により、自分らしく生きられる

ということですね。

リスクを受け入れて、最悪の場合は仕方ないと考えることによって、人生の最期まで豊かな人生を送るというリターンを得られる可能性が出てくるのです。

逆にリスクをとらなければ、寝たきりになって自分では何もできなくなり、認知機能も落ちて家族もわからなくなってしまう可能性が高まってしまうということです。

とるべきリスクを避けることによって、最終的にはより大きなデメリットに繋がるのは明白ですよね。

<新型コロナ茶番>

新型コロナ騒ぎも、ゼロリスク信仰が大きく関わっています。というよりは、ゼロリスク信仰のせいで、このような馬鹿げた騒ぎになってしまったと言えます。

本来、人間はウイルスや細菌などの微生物と共存している生き物です。感染症を世の中から無くすことは不可能ですし、感染症を受け入れることで、人間としての社会生活をしていくことができるのです。

つまり

  • リスク : ウイルスや細菌などに感染して、感染症になる可能性
  • リターン: 人間として、コミュニティの中で社会生活を送れる

ということです。

そして、感染症に負けないために人間に備わっているのが、「免疫力」ですね。

しかしコロナ茶番では

  • 感染しないこと

というゼロリスクを、目的にしてしまったのです。

そんなことは不可能なのにも拘らずです。しかも、その手段として「自粛」「ステイホーム」「マスク」など、人間本来の生活から遠くかけ離れたものを選択したわけです。

これらは、むしろ免疫力を下げてしまうものばかりです。本末転倒であり、愚の骨頂と言えます。

新型コロナは致死率の高い感染症ではないので、本来であれば基本的には感染のリスクを受け入れて、免疫を高めたり獲得することを考えるべきだったのです。

そしてリターンとして、経済を正常に機能させるなどの、通常通りの社会生活を送れたはずだったということです。そうすれば、何もなく終わったことだったのにも拘らず、ゼロリスクを求めた結果が今の狂った社会というわけです。

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ゼロリスク信仰の害悪以外の何物でもありません。

まとめ

まとめ
  • ・日本人は「ゼロリスク信仰」の傾向が強い
  • ・リスクはリターンの対価であり、ゼロにすることなど不可能
  • ・リスクとリターンを比較して、リスクを受け入れるか考える
  • ・日本が寝たきり大国なのも、コロナで狂っているのもゼロリスクの害悪

ゼロリスクを求める人たちは、何も考えていない思考停止の人たちです。

自分一人で勝手にゼロリスクに突き進むのであれば好きにすればいいですが、それを他人に押し付けたり、同調圧力を振りかざすのは害悪でしかありません。

リスクをゼロにすることは、生きていく上で不可能なのです。大切なのは、リスクとリターンを比較して、受け入れるべきリスクを適切にとることです。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。