【あなたも加害者かも】誹謗中傷の本当の怖さ

社会
【あなたも加害者かも】誹謗中傷の本当の怖さ

現代はSNSなどのネット上のサービスによって、誰もが意見や情報を発信できるようになりました。

そのおかげで様々なメリットを私たちは享受することができるようになりました。

一部の特定の人のみが世の中に向けて意見や情報を発信できるのではなく、誰もが世の中に向けて意見や情報を発信できるということは民主主義として非常に重要なことです。

また、その意見や情報を受ける側としても特定の偏ったものばかりを受けるのではなく、様々な意見や情報を受けられるのは当然メリットです。

さらには、距離的な問題のように物理的に会って話したりすることが難しい人ともコミュニケーションをとることができるようになりました。

国境の壁すらネットの中では無いようなものです。

このように技術の進歩により、私たちは多くの恩恵を受けています。

しかしその反面、残念ながら大きな問題も存在しています。

その一つが「誹謗中傷」です。

そもそもSNSなどのネット上では個人情報を出すこともできますが、著名人などを除けば基本的には匿名が一般的です。

この匿名というのはメリットにもなりますね。匿名だからこそ個人が自由に発信できるという面があります。

しかし匿名だからこそ心無い誹謗中傷が起こってしまうということも残念ながら現実です。

誹謗中傷により、心が病んでしまう人もいるでしょうし、非常に残念ながら自ら命を絶ってしまう人もいます。

誹謗中傷を防ぐために匿名は辞めるべきだとか、SNS運営会社の責任を問うだとかという話は、誹謗中傷絡みの事件などが起こるたびに沸き上がりますが、本質的な解決には決してならないと思います。

なぜ誹謗中傷が起こるのか、それによってなぜ精神的に追い込まれてしまう人がいるのかを、よく考える必要があります。誹謗中傷する張本人が最も悪いのは間違いありませんが、本当にそれだけなのでしょうか?

誹謗中傷と批判の違い

批判とは?

まずは誹謗中傷と批判の違いについて考えてみましょう。

批判の本来の意味は「良いところ・悪いところを見分け、評価・判定すること」です。

決して反対意見に限った意味合いではないのですが、一般的にはニュアンス的に反対意見として使われることが多いように思います。

自由に意見を言えるわけですから、賛成の意見だけでなく、反対もできるのは大切ですよね。

反対できないのは民主主義ではありません。

次に誹謗中傷の意味です。

誹謗中傷は誹謗と中傷に分けられます。

誹謗は「他人を悪く言う事」

中傷は「根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること」

となっています。

誹謗中傷と批判の違いはこのように明確ですね。 さらに少し突っ込んで考えてみると大まかには次のように違いがあると思います。

誹謗中傷と批判の違い
誹謗中傷と批判の違い

誹謗中傷は、相手の人を根拠なく感情で攻撃するものです。

それに対して批判は、人ではなくその人の発信した内容などを事実や理論や思想といった根拠を基に評価し、さらには代案や自分の考えも返すというものになると思います。

しかし、自分は批判しているつもりでも誹謗中傷になっていたということはよくあります。

誹謗中傷された側から考えてみれば、それは気づかなかったから仕方のないと済まされるようなことではありません。

誰もが批判をするときに、人を攻撃していないか、根拠はあるか、感情で言っていないかをしっかり考えることで誹謗中傷は減らすことができるかもしれません。

他には、感想と誹謗中傷の境界線もあいまいですね。

例えばレストランに行って

「クソまずい。人間の食べるものじゃない」

というようなことを発信すると誹謗中傷になる可能性は十分にあります。

「食べたけど個人的にはおいしくなかった。好みじゃないかもしれない」

というようにまずいと思っても、あくまでも個人的な感想として言えば問題ないのです。 このように程度の問題もありますね。

誹謗中傷は無くすことができるか

結論から言うと、誹謗中傷を無くすことはできないと思います。

もちろん、無くなった方がいいことは前提です。

しかしそれでも減らすことはできても無くすことはできないと思います。

ネット上で炎上させたり誹謗中傷を繰り返すような人たちは、それ自体をストレス発散にしていたり、炎上させたりすること自体を目的にしていると思われます。

そしてそのようなことをする人たちの割合は、ネット全体にいる人の中のわずか0.4%程度と言われているそうです。

たった0.4%です。

しかしこの0.4%が0になることはないでしょう。

批判のつもりで誹謗中傷になってしまっていたり、ついつい感情的になってしまって誹謗中傷してしまったようなケースは、各々が気を付けることで減らすことは可能だと思います。(難しいのは確実ですが・・・)

しかし0.4%の人たちは、そもそも悪意や炎上させたりすること自体を目的にしているので無くなりません。

このような人たちは無視するに限ります。

ブロックしたりスルーしたりするほうがいいです。

そこに余計な労力やストレスを感じてしまうことこそが、0.4%の連中を喜ばせることになってしまいます。

ただそれでも顔の見えない誰だかわからない人から粘着されて誹謗中傷され続ければ、誰でも怖いのは間違いありません。

いつかいきなり刺されるんじゃないかとも思うものです。 そのような時は、いち早く弁護士に相談することをお勧めします。

誹謗中傷の本当の怖さ

誹謗中傷の本当の怖さ

誹謗中傷の本当の怖さは、0.4%の人たちだけではありません。

その人たちの悪意のある発信に対して、何となく同意したり賛同したりして、誹謗中傷までのレベルではなくても非難をする多くの普通の人たちです。

この人たちはあまり罪の意識もないのが非常に問題です。

たいして真実も知ろうとせず、考えもせずに思考停止に近い状態で何となく流されて非難するのです。

これはネット上だけでなく、メディア報道などによって一斉に世論が特定の人をたたき始めたりするようになるのも同様です。

実際には全ての人がその流れに乗っているわけではないのですが、あたかも世論全体がそのようになっているように、特にテレビなどのメディアは見せかけてきます。

そしてそれをまた思考停止の多数の人たちが鵜呑みにして、非難をする。

これの繰り返しです。

非難されている人はどう感じるでしょうか?

世の中全てが敵に見えてもおかしくないのではないでしょうか。

ほとんどの人は思考停止で何となく意見を言って人を非難して、別に悪いことをしているとも思っていないし自分は関係ないと思っているのでしょう。

しかしそのような無責任な人たちの集まった力は、人の命を奪うことすらあります。

そしてテレビなどのメディアはそのようなことを仕掛けてくることは多々あります。

もちろん一番悪いのは悪意を持って誹謗中傷する人たちです。

しかしそれでも、知識も得ようとせず、事実を確認しようともせず、自分で調べることもなく、考えることもなく、そのような思考停止状態で気軽に非難したり意見することはおかしくないでしょうか?

その結果、人の心を傷つけていいわけありません。

今の日本は思考停止の人がとにかく多い。

調べる」「知る」「考える」

このステップを経て、初めて自分の意見として言うべきです。

そしてそのステップを踏まないなら安易に人を非難するべきではありません。 黙っているべきです。

気付かずに加害者になっている人

誰もが被害者になってしまう可能性がありますが、それと同時に誰もが加害者になり得ます。

そして気付かずに加害者になっている人は多数いるはずです。

これは誹謗中傷の話に限った話ではありません。

日々流れてくるニュースやゴシップなどすべてに共通して言えることです。

例えば誰かが不倫したとかいう正直どうでもいいニュースなどは、誰もが一斉に攻撃します。

確かに不倫は良く無い事でしょう。

しかし、そこに至るまでの夫婦関係の経緯などを知っている人はどれだけいるのでしょうか?

物事のある一面のみを見て判断して非難しているわけです。

次に実際に私が経験した例として、東日本大震災の時のことです。

「日本人は素晴らしい。被災地では、このような非常時にも拘わらず盗難などは起こらず、誰もが助け合っている」というようなニュースが日々流れていました。

しかしこれは私が被災地支援で、色々な避難所を訪問していた時に聞いた話と全く異なります。

訪れた避難所の半数以上で、「食料の盗難があったために夜は食糧庫に警備をつけている」という話を聞きました。

もちろん全ての避難所で盗難があったわけでもないでしょうし、そのようなこともなく助け合っている避難所もあったのでしょう。

しかしメディアのニュースを鵜呑みにしていた人たちは、まさか盗難などがあったとは思ってもいないわけですよね。

自分の目で見もせず、自分の耳で聞きもせず、自分で経験もせず、偏った情報のみを鵜呑みにしているのです。

結局、誹謗中傷だけでなく現代の情報社会において、このような思考停止の人が多数いて、偏った情報に踊らされています。

そしてその結果、事実かどうかもわからないような「作られた事実」が出来上がり世論のようなものになっていくのです。

思考停止の人たちの意見などは害でしかありません。

まずは自分が「調べる」「知る」「考える」というステップを経ているか、よく考えてもらいたいと思います。

最期に付け加えておきます。

自ら命を絶ってしまった理由の一つに誹謗中傷があるかもしれません。

しかし他の理由もあるかもしれません。

結局わからないことは必ずあります。何も知らないのに断定的に話を進めるのも、非常に危険なので辞めるべきです。