夕張市から学ぶべきこと

医療の本質

財政破綻と医療崩壊

北海道の夕張市は明治初期頃から炭鉱の町として栄え、1960年には12万人近い人口を抱える都市になりました。

しかし、その後のエネルギー革命による石油へのシフトの進行などから石炭産業は衰退し人口減少が進みました。

現在の人口は1万人を切っています。

他にも様々な背景はありますが、夕張市は2007年に財政再建団体に指定され、事実上の財政破綻をしました。

夕張市の財政が破綻したことによって夕張市の医療も大きな変化を余儀なくされました。

夕張市の基幹病院であった「夕張市立総合病院」が閉院したのです。

正確には病院が診療所になってしまい、以下のように変わりました。

病院(破綻前)

 病床数171床  

医師数5~10人

診療所(破綻後)

 病床数19床  老人保健施設(老健)40床  

医師数2~3人

(※老健とは介護が必要な高齢者の自立による在宅復帰を目指し、医療ケアだけでなくリハビリなども行う施設のこと)

このように病床数は1/10近くになり、医師も専門医ではなく家庭医といわれるような医師になりましたので、広く色々な病気を診ることができますが手術や高度な医療などの専門的な処置は難しく、医療機器も最終的にはCTやMRIはない状態になりました。

病院でなく診療所ですから救急車もなくなり、救急車を呼ぶ際には隣の市から呼ぶことになります。救急車の病院への到着までの時間は病院閉鎖前の平均38.7分が、閉鎖後は67.2分になってしまったそうです。そして緊急の場合はドクターヘリで札幌まで運びます。

このように夕張市は財政破綻によって、医療崩壊を起こしました。

この医療崩壊の危険は決して夕張市に限ったことではありません。

無医村と言われるような場所は、人口は比較になりませんが、これよりも病院医療は成り立っていません。

また2015年データですと夕張市の高齢者率は47%で日本一ですが、高齢化が進んでいくのは日本中同じで、財政がまわっていないのも日本ではすでに起こっていることです。

もちろん規模も夕張市と国では違いますが、夕張市の事例は決して夕張市に限ったことではなく今後日本で起こっていくかもしれないと言われています。

このような破綻は、今後の人口減少により地方においてはいつ起こってもおかしくない場所が多々あります。

財政問題に関して言えば、国が地方を助ける方向に政策を行いさえすれば防ぐことは可能です。

『3.医療の現状』でも述べましたが、本来的に日本には財政問題は存在しません。

(経済のことについては「0から学ぶ経済」を参考にしてください。)

しかし、そもそも日本全体として人口減少は進んでいきます。

東京への人口一極集中もあり、地方都市の人口減少は加速度的に進んでいくことは間違いないと思われます。

人がいなくなれば、需要と供給の市場原理として、そこのモノやサービスはなくなっていきます。

これに関しては国がいくら財政政策をしてお金を投入しても止められませんので、残った少ない住民に高度な医療を提供することは難しくなります。 そのような意味では、地方における医療崩壊は今後増えていくと考えられます。

夕張市の医療の変化と夕張市民の意識の変化

病院がなくなって救急車もなくなった夕張市民は当然不安になったと思います。

しかしその結果人口流出、とはなりませんでした。

人口は減少していますが人口減少が加速したわけではなく病院閉鎖前と減少のペースは変わらなかったのです。少し驚きの事実です。

病院に頼らず自分の身体を自分で守ろうという意識を持つようになっていったようです。

実際にどのような変化が起こったかというと、病死が減って老衰が増えました。

死因別のトップ3である癌、心疾患、肺炎は概ね減少しました。

また、隣の市から呼ばなくてはならない救急車の出動回数も約半数になりました。

結果として医療機関に対する需要が減り、医療費が減るという結果になったのです。

これらは病院がなくなったことによる危機感から自分の健康を自分で守らないといけないという意識の高まりによって、市民一人一人が日頃からの運動や食事を含めた生活習慣を考え直し変えていった結果であると思います。

しかし医療費が減った理由は他にもあると思います。

病院がなくなったことで多少のことではなかなか医療機関にかかれなくなり過剰医療が減ったことも考えられます。

老衰が増えたことも原因の一つとして考えられます。

老衰が増えたことは医療の在り方や市民の意識の変化を顕著に表していると思います。

実は老衰と診断して死亡診断書を書くのは実は結構難しいらしいです。

基本的に老衰と診断するにはあらゆる病気を否定して年齢的な体力の低下という結論にするということです。

年齢的なことで病気ではないので積極的な治療は行わないということですから、近づいてくる死と正面から本人・家族が向き合わなくてはなりません。

あらゆる病気を否定するというのは高齢になればなるほど難しく、何もない人はとても少ないです。

ほぼいないと言ってもいいかもしれません。

つまり老衰は医学的・論理的なところから少し離れ、死を受け入れるという要素が含まれているのです。

死とは違いますが例えば整形外科に高齢者がたくさん並んでいるのを見たことがある人は多いのではないでしょうか。

「歩いていると膝が痛い、何とかしてくれ。」

でも湿布を出されるだけ。

「先生が歳だから仕方ないって言って湿布しかだしてくれない!もっとちゃんと診てほしい」

多くはこんな流れですね。

何か疾患のある人もいるかもしれませんが、多くの人は当たり前です。

以前と同じ体ではありません。これを克服したいならもっと若いうちから筋肉をたくさんつけておくとか筋肉の低下などを少しでも抑えるために毎日歩く習慣を作るなどしなければなりません。

本来は病院の出番ではないのです。

このように自分と向き合わず依存する感覚の人が多い中で、老衰を受け入れてもらうということがどれだけ難しいかということがわかりますでしょうか。

実際医師の中でも老衰と診断するのは逃げのような風潮もあるそうで、都心の病院や急性期病院などでは老衰の死亡診断書はほとんどでないそうです。

しかし、最近全国的にも老衰は少しずつ増えてきていて死因別の5位で6~7%になってきています。病院閉鎖後の夕張市での老衰の増え方は特に顕著だったようです。

この老衰が増えてきたということは生活習慣の改善によって病気が減ったといこともあるでしょうが、死への向き合い方、つまり死生観の変化が起こったのではないかと思います。

病院がなくなったので当然ではありますが、夕張市では在宅や介護施設での看取りが増えました。チューブなどにつながれて辛い治療をして最期を迎えるよりも、静かに家族に見守られながら最期を迎えることを選ぶ人が増えたのだと思います。病院閉鎖の結果なのかもしれませんが、それも死生観の変化に影響を与えたのだと思います。

どう最期を迎えるのか、これに高齢者や家族が向き合っていくということは、どう生きるのか、ということとほぼ同義なのではないでしょうか。 そしてそのように最期を考える上で病院による医療よりも介護の分野の方が大切になります。もちろん今でも非常に大切で医療の根底を支えてくれているのは間違いないのですが、今後はさらに重要になってきます。

事実、夕張市は病院を閉鎖して病院医療は縮小しましたが、介護の部分は充実させてきたのです。

このように夕張市は医療崩壊を起こしたことにより、市民の自律・自立の意識が芽生え、

医療の本質である「健康を維持する」「病気にならないようにする」ということに対して努力をしていったのです。

そしてその結果として「死生観」に変化が起こったのだと思います。

これらは全て「病院外医療」です。

人口減少、少子高齢化が進んでいく日本において、本来医療費問題は存在しませんが、介護分野をはじめとしたマンパワーの不足はどんどん進んでいく大きな問題です。

最期をどう迎えるか、死にどう向き合うか、最期まで人間らしくどう生きるのか。

どのような豊かな人生を送るのか。

これらのことをよく考えて自律・自立の意識を各々が持たなくてはならない時期なのだと思います。 この夕張市の事例は多くのことを教えてくれています。今後の日本の未来に向けて夕張市のことを知るのは必須であり受け継いでいかなくてはならないと思います。

夕張市と認知症

夕張市における認知症患者に対しての関わり方もとても興味深いものがあります。

日本での認知症患者は2025年には700万人を突破するといわれ、65歳以上の5人に1人が認知症患者になるといわれています。

認知症は世界中で今後の最大の問題の一つともされており、その中でも他の国に先行して世界一の高齢化社会に突入していく日本がどのように認知症問題を解決していくのか注目されています。

認知症患者に対しては誰もが介護のイメージが強いのではないでしょうか?

自宅だと家族が疲弊して厳しいし徘徊の心配もあるので、介護施設で面倒を見てもらうというパターンは多いと思います。しかし認知症は環境や景色が変わると悪化するとも言われており、自宅から施設に移ったりすると悪化する場合が多いようです。とは言っても独り身の方や家族が介護しきれない場合は介護施設にお願いするしかないのが現状だと思います。

しかし、夕張市では認知症患者が最期まで一人で生活をして人生を全うするようなケースが多々あったそうです。

100歳超えて重度認知症の方が毎日一人で畑仕事をしていたり、80歳代の重度認知症の方が自分の家の前だけでなく周りの家の前なども、せっせと雪かきをしていたりということが見られたそうです。

施設やデイサービスなどにいても得られない社会的役割を認知症になっても続けていくことは本人にとっても幸せでしょうし周りの人との繋がりを維持することにもつながるのだと思います。

徘徊についても夕張市は近所の人はみんな知り合いというようなコミュニティーなので、徘徊中に誰か知り合いに会って立ち話をすると当初の目的を忘れて家に帰るようなことになるそうです。

収容して監視するのではなく、地域全体でなんとなく見守るというようなイメージですね。

もちろん徘徊して必ず近所の人に会うとも限りませんので、転んで怪我したり川に落ちて転落死ということもあるそうで、それを理由に施設に入る人もいるようですが、収容されて監視されるよりも最期まで自分の好きに生きて何かあったときは天命として受け入れるという考えをする人やその家族が多くいたようです。

何を選択するかは個人の自由ですが、認知症になっても最期まで地域社会の一員として好きに生きていくという選択をできるような地域の繋がりが夕張市にはあったのです。

夕張市は医療崩壊をきっかけとして自律をもって自立を目指し、それぞれが自分の健康を自分で守る意識を持ち死生観の変化が起こりました。

これらは個人個人のことに留まらず地域全体で認知症患者や高齢者を最期まで見守るという地域全体で医療を行うということに広がっていったのではないのでしょうか。

地域全体でお互いが助け合って見守りあいながら、自分の身体は自分で守る意識で病院外医療を行う。 これこそが夕張市民の教えてくれたことなのではないかと思います。

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