【問題は学校教育そのもの】宿題代行の是非はどうでもいい

教育

<宿題代行の是非はどうでもいい>

夏休みや冬休みといった長期休暇になるたびに、「宿題代行の是非」が報道されますね。

はっきり言って、宿題代行の是非なんてどうでもいい問題です。

本来議論されなくてはならないのは、宿題代行の是非よりも

という根本的なことのはずです。

宿題が子どもの学力向上に効果的であれば、当然宿題は自分でやった方がいいわけです。

逆に宿題の意味がないようであれば、宿題や学校教育そのものを見直すべきです。

宿題の意味がないのに宿題や学校教育が変わらない場合には、宿題代行を利用するのも一つの選択肢になるかもしれませんね。

そして現状はまさにこの状態ですね。

<宿題は無意味どころかマイナスな場合もある>

2006年にアメリカのデューク大学で行われた宿題に対しての研究が行われました。

結果は以下の通りです。

小学生 中学生 高校生
宿題による学力向上 ×

このように宿題による学力向上の効果は、小学生・中学生・高校生によって異なる結果が出ています。

つまり宿題による学力向上の効果は

ということです。

しかも小学生に対しては、宿題によって学習に対する興味が失われる可能性があるという結果も出ているようです。

これが事実であれば、意味ないどころか明確なマイナスです。

実は宿題の効果に対する研究は多数存在するのですが、小学生に対しては宿題が学力向上に効果があるという研究結果は一つも存在しないのです。

これらの結果を見れば少なくても小学生に対しては、「宿題自体の是非」について考えなくてはいけませんよね。

しかも宿題がたくさん出ることで

というようにみんなが大変な思いをします。

子どもの学力が向上しないどころか、学習に対する興味が失われる可能性もあり、そしてみんなが大変な思いをするわけです。

それなのに宿題についての見直しが行われないのは、ただの思考停止です。

ちなみに読書や運動などは、小学生の能力向上に効果があるということはわかっています。

宿題を出すにしても、エビデンスのある読書などにしたらいいですよね。

「宿題代行の是非」をどうこう言うよりも、「宿題自体の是非」「宿題の内容」について議論して見直す必要があるのは明らかです。

<時代遅れの学校教育>

研究結果に反して、小学生への大量の宿題は継続されています。

宿題代行への反対意見としても、「言われたことを我慢してやり抜く力をつける」というような馬鹿げた意見もあります。

意味不明です。

学校教育が本来の目的を見失い、思考停止の状態で行われているかが垣間見えますね。

もちろん全ての教育現場がそうだとは思いませんが、時代遅れで本来必要なものが得られない教育が多くされているのは間違いありません。

そもそも学校教育で子どもたちが学ぶべきことは

大人になって社会で生きていく上で必要な力を身につける

ということです。

現代の社会で最も必要な力は

ではないでしょうか。

他にもあるとは思いますが、社会人ならこのような力が重要であると実感すると思います。

それに対して学校で主に教えていることは

です。

これは学校だけでなく、家庭でもこの傾向ですよね。

以前の高度経済成長期のように社会全体が右肩上がりの頃であれば、このような学校で教えているようなことでも大丈夫だったかもしれません。

しかし現代は個人の力で生きていかなくてはならない時代です。

自分の頭で考えて、自分で道を切り開いて、失敗しても糧にして挑戦することが必要不可欠です。

社会で必要な力 学校で教えていること
自分の頭で考える力 嫌でも言われたこと
をやり抜く力
自分で道を切り開く力 決められた正解に
辿り着く力
失敗しても糧にして
挑戦する力
反復して失敗のリスクを
減らす力

宿題も含めて今の学校教育は、ただ詰め込むだけのものです。

それでは考える力は身につきません。

思考停止の大人が教育をしたら、思考停止の子どもになって、思考停止の大人になるだけです。

宿題代行の是非について議論している場合じゃないのです。

教育そのものの在り方を真剣に考えて変えていかなくてはなりません。

とは言え学校教育はそうそう変わるものでもありませんね。

個人が自分で考えて行動するしかないかもしれません。

<おまけ:宿題代行の賛否>

参考までに宿題代行への賛否の調査結果がありましたので紹介します。

ちなみに余談ですが私の個人としては、子どもがやりたいなら宿題やればいいし、やりたくないならやらなければいいというスタンスです。

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