【医療を診る⑤】臨床と研究

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【医療を診る⑤】臨床と研究

医師の主な仕事内容としては

  • ・臨床
  • ・研究

の二つがあります。

医師が活躍するテレビドラマなどでは、臨床で活躍する医師にスポットライトがあたりがちですよね。

研究に没頭して患者を診ない医師よりも、患者を診る臨床を大切にしている医師の方が、良い医師というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。

しかし、研究は非常に大切です。

医学に限らずあらゆる分野で、進歩しているのは研究による成果の結果でもあります。

研究の大切さや日本の研究が抱えている問題などについて、説明していきます。

臨床と研究は両輪

臨床

臨床と研究は対極的に扱われることがありますが、決してそんなことはありません。
研究があるから臨床が成り立ち、臨床があるから研究が成り立ちます。

言ってみれば、臨床と研究という両輪で医療というものは進むことができるのです。

臨床と研究

研究によって得られた結果を根拠(エビデンス)に、臨床は行われます。臨床によって得られたデータを基にして、研究は行われます。
臨床と研究のどちらが欠けても、医療という車は前に進めません。

研究の本来の目的

研究

研究の本来の目的は「進歩」です。

研究が行われることによって、新しい技術や薬などが生まれます。
研究によって、それまで分からなかったことが分かるようになったり、それまで出来なかったことが出来るようになるのです。
研究によって、「医学」が前に進むことが出来ます。

そしてその前進は、臨床に反映されます。

それまで治せなかった病気が治せるようになったり、それまでよりも高い確率で治せるようになったりするわけですね。

このように本来、研究は進歩のための手段です。

しかし残念ながら、博士号などの肩書を得るための手段になってしまっている側面があることも否定できません。
簡単に言うと、論文を書くことで肩書を得ることが出来たりします。

その肩書は、将来開業するときなどの箔をつけるためのことも多いのです。

当たり前ですが、これは研究本来の目的とは違いますね。

研究は失敗が前提

研究は失敗が前提

本来研究というのは、いくつもの研究を積み重ねていくものです。
どんなに偉大な論文も、一つの研究の成果ではありません。
無数の研究の積み重ねがなければ、成果は出ません。

恐らく多くの人が想像しているであろう、世紀の大発明みたいなものではありません。
一つずつ可能性を検証して言ったりして、少しずつゴールに近づいていく非常に地味で地道な作業ばかりです。

クマ

まさに血と汗と涙の結晶です。

研究の大まかな流れとしては

  • 1.仮説を立てる
  • 2.検証する(実験など)
  • 3.データを解析・考察する
  • 4.1に戻る

となり、エンドレス・ループです。

本質的に言えば、研究のほとんどが失敗に終わります。
特に未知の分野への研究などにおいて、仮説が最初から的中することは、まずあり得ません。
ですからエンドレス・ループで、仮説を修正し続けなければなりません。

しかし失敗と言っても、全てが無駄というわけではありません。
正確に言えば、失敗というものすら存在しないとも言えます。

クマ

どういうこと?

仮説Aを立てたとします。
実験などによる検証を行い、それによって得られたデータを解析・考察して、仮説Aは正しくなかったとしましょう。

しかしそれは、逆に言えば仮説Aが正しくないことを証明したということです。
そして仮説Aに対して行った検証によって得られたデータは、ある条件下における結果として位置付けて、整理しておくことで役に立つデータになります。

つまり正しい情報になります。

このようなことを一歩ずつ進めていくことによって、本当に少しずつ意味のある結果に近づいていくのです。

一歩ずつ研究を進める

想像つくかと思いますが、膨大な時間と労力を要します。

しかし肩書を得るための研究は、無理やりデータを合わせにいったりするんですよね。
要するに無理やり仮説が正しくなるように操作するわけです。

当然ですが、無意味です。

その研究に費やす時間も労力もお金も全てが無駄です。

日本の研究は衰退の一途

衰退の一途

日本の研究分野は、衰退の一途をたどっています。

様々な理由がありますが、主な理由としては

  • ・予算を減らされている
  • ・短期的に成果を出さなくてはならない

の二つがあります。

まず研究にはとてもお金がかかります。研究費というやつですね。

そして幾多の失敗を続けながら、少しずつ進んでいくものです。
つまり研究には、お金も時間も必要なのです。

そしていつ期待するような結果が出るかはわかりません。

研究の特性上、これらは仕方のないことです。

しかし日本の研究費は減少の一途です。

基本的に研究費は国家予算からも出ていますが、緊縮財政のせいでその額は減少の一途です。
研究費が減少すると、当然研究員のポストが減ります。研究員のポストが減るということは、短期的に結果を出せなければポストを失うということです。

短期結果を出さなくてはいけないので、当然研究の質は下がり、無理やりデータを合わせるような意味のない研究や不正研究などが増えるわけですね。

質の低下

本来的には研究は時間と労力とお金をかけなくてはならないものです。
短期的に結果を求めるべきものではありません。
そして失敗のように見える結果は、失敗ではなく成功への一歩なのです。

事実として日本の論文は世界的に見て減少の一途です。
そして研究員の待遇は悪化の一途で、無給で研究を続けている人も多くいます。

医学に限らず、今後も発展・進歩を求めるのであれば研究を軽んじてはいけないのは明白です。

肩書のためにデータ合わせするような研究は無意味ですから、そのようなところからは研究費をどんどん削るべきです。

しかし研究の結果、仮説を否定する結果などを認めたら研究が続けられないような環境は絶対あってはなりません。

誰もがテストでいい点を取るために勉強したことありますよね。

勉強している時に解いている問題を間違えながら学んでいきます。

もし勉強中に解いている問題を間違えたら、勉強を続けられなかったらどうでしょうか?
テストで結果を出せるわけはありません。

それと同じようなことになってしまっているわけです。

研究は進歩の礎です。

そのことを少しでも多くの人に理解してもらえると幸いです。


最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。